CLOSE

CLOSE

ジャンル別公演チケット

エリア別公演チケット

条件別公演チケット

HOME > 林家たい平

林家たい平

林家たい平



※本ページは、人物/団体の名前でWikipedia、Google画像、YouTube検索等を行い、
その結果を自動的に取得・表示しています。


 

Wikipedia

林家 たい平(はやしや たいへい、1964年12月6日 - )は、日本の落語家、タレント。本名:田鹿 明。埼玉県秩父市出身。落語協会所属、所属事務所は株式会社オフィスビーワン。武蔵野美術大学客員教授。演芸番組『笑点』(日本テレビ系列)の大喜利メンバー。出囃子は『ぎっちょ』(「ドラ落語」の際は『夢をかなえてドラえもん』)。定紋は『花菱』(「ドラ落語」の際は『鈴』)。趣味はゴルフ。

経歴

埼玉県秩父市出身。実家はかつてテイラーメイドの洋服店を営んでおり、2022年現在は実母が駄菓子店「駄菓子屋たい平」を、実兄がうどん店「うどん亭たじか」を経営している。洋服店時代は店内において落語の寄席が催されたことがある。

秩父市立秩父第二中学校・埼玉県立秩父高等学校を経て、1987年に武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業。大学の先輩に六代目柳家つば女がいる。1988年8月に林家こん平に入門。高座名の「たい平」の名付け親は師匠のこん平であり、当初の読みは「たいぺい」だった。こん平曰く「外国人にも語呂的に伝わりやすい」という理由だったが、大師匠初代三平の妻である海老名香葉子から「"たいへい"の方が良いのでは」という意見があり、これを経て「たいへい」に決まった。なお、こん平は弟子入りをすぐに認めたわけではなく、海老名家で1年間の住み込み修行をさせた上で、正式に弟子入りを認めている。また、弟子入り後も海老名家での修行は続き、合計6年間にも及んだ。

1992年5月、三代目横目家助平、古今亭菊若と共に二ツ目に昇進。1993年、北区若手落語家競演会で優勝・NHK新人演芸大賞で優秀賞を受賞。1999年、花形演芸賞で銀賞受賞・彩の国落語大賞を受賞。

2000年3月、柳家喬太郎と共に抜擢で真打昇進。

2004年12月26日放送分よりこん平の代役として『笑点』の大喜利に出演。三遊亭小遊三以来21年ぶりの新顔で、若手大喜利出身メンバーでは古今亭朝次以来24年ぶりの新顔である。2006年、こん平の降板に伴い5月21日放送分より『笑点』大喜利のレギュラーメンバーに昇格。2008年、平成19年度芸術選奨大衆芸能部門文部科学大臣新人賞を受賞。2010年、武蔵野美術大学造形学部芸術文化学科客員教授就任。2014年6月、落語協会理事に就任。2016年5月29日放送の『笑点』にて、同年の『24時間テレビ39「愛は地球を救う」』(日本テレビ系)のチャリティーマラソンランナーを務めることが発表され、同年8月28日には3か月前に『笑点』の司会から勇退した歌丸の本名「椎名巌」にかけて設定された100.5キロメートル(いわおGO)の道のりを完走した。放送直後の『行列のできる法律相談所』に生出演した際には、マラソンに備えて体重を10キログラム落としたことなど裏話を語ったほか、自身が大ファンという女子プロテニス選手のクルム伊達公子や特撮テレビヒーローのミラーマンがご褒美ゲストとして駆けつけ、たい平へのプレゼントをそれぞれ手渡した。これ以降はマラソンを新たに趣味としており、地方で行われるマラソン大会にも何度か出場している。

2017年11月29日、自身が『木久蔵ラーメン』に対抗して制作した『秩父たい平カレー』が発売された。2018年12月2日から3日に開催された秩父夜祭りにて、屋台の上に乗り曳き手を鼓舞する囃子手を務めた。

2019年3月、長男・咲太朗 がたい平の二番弟子として入門(前座名は「さく平」)。2020年4月 - 自身のYouTubeチャンネルを開設。8月には落語協会理事から、落語協会常任理事に昇格。

2022年1月23日、新型コロナウイルスに感染したことを公式ブログで発表

人物

言霊群団「夢吽空」団員。「駄句駄句会」同人、俳号は「中瀞ちゅうとろ」。血液型はB型。

芸名にちなみ、手ぬぐいや色紙・著書などに鯛の絵柄をよく用いる。愛称は「たいちゃん」。これは、たい平の師匠であるこん平の愛称「こんちゃん」に由来する。

生まれ故郷の秩父に愛郷心を抱いている。『笑点』(日本テレビ)でも時々挨拶の際に、秩父でのイベント情報などを盛り込んで秩父のことを紹介しており、毎年11月下旬には翌月開催の秩父夜祭を大々的にPRしており、参加の様子は派生番組の『笑点 特大号』で放送されている。2009年に俳優の藤原竜也、演歌歌手の冠二郎、THE ALFEEの桜井賢と共に秩父市の観光大使に任命された。『笑点』の大喜利では大月秩父代理戦争ネタを三遊亭小遊三と展開していたが、2010年6月6日に大月市で行われた独演会では、秩父市長・久喜邦康と小遊三と同窓の大月市長・石井由己雄も交えてトークバトルが行われた。さらに、同年10月24日には、「第2弾」として、秩父市で両市長も交えたトークバトルが行われた。

落語家を志すきっかけは、大学に入学した際に立ち寄った落研サークルが当時は廃部寸前だったため、何とかしなければと友人数名を集めて廃部を撤回させたことにある。落研サークルでの高座名は「遊々亭迷々丸(ゆうゆうてい めめまる)」。その当時は落語を観たことも聴いたこともなかったために漫才やコントをやっていたが、ある時たまたまラジオで流れていた人間国宝・五代目柳家小さんの『粗忽長屋』を聴いて感動し、真剣に落語を始めた。その後、大学4年生の時に宮城県石巻市の高齢者介護施設で落語を披露し、聞いていた老人たちの笑顔に励まされ、日和山の桜の木の下で落語家になることを決意した。

武蔵野美大出身という学歴を活かし、著書や自身のCDの挿絵を自ら担当するなど画才でも知られる。また、同じく絵を描くことで知られている林家木久扇の絵のアシスタントをしていたことがある。

日本テレビ系列の長寿番組『笑点』に、2004年12月26日放送分から病気療養のために休演した師匠こん平の代役として出演。後にこん平の降板と同時に正式メンバーとなり、現在も出演し続けている。

2006年2月18日に放送された、深夜番組『歌スタ!!』(日本テレビ)のスペシャル版『ハンター全員出席! 各界うたいびとガチガチデビューSP』に出演。BEGINの『恋しくて』を歌い、ウタイビトハンターが合格を意味する“よろしく”の札を上げた。その後『笑点』の大喜利で、挨拶や答えの機会を利用して『歌スタ!!』での合格や出演、歌手デビューについて宣伝した。古典落語の『芝浜』にヒントを得た『芝浜ゆらゆら』(作曲・編曲:マシコタツロウ)でCDデビュー(2006年10月18日にコロムビアミュージックエンタテインメントから発売)。2006年10月14日・21日(再放送)放送の『BS笑点』(BS日テレ)では、たい平司会のコーナー「使ってみよう! 落語ことば」の時間を利用して1コーラス披露した。『笑点』の司会者(当時)・桂歌丸からはそれをネタにされ、「あのね、歌のCDなんか出さずに落語のCD出しなよ」と言われているが、落語のCDはすでに複数リリースしている。


 

取扱中の公演・チケット情報

現在取り扱い中の公演はありません。